ティムタム食べない

文化系ミーハーニートちゃんの愛おしいまいにちを記録していく(フィリピン留学中、ワーホリ予定)

五臓六腑にしみわたれ!

あけましておめでとうございます。

実家暮らしなので今年もおうちでだら〜っとお正月を過ごしております、こに丸でございます。

お正月の過ごし方

1.『映像の世紀』とともに幕を開けた2016年

1月1日0時、除夜の鐘と同時にNHK BSにて『映像の世紀』全11集がデジタルリマスター版で再放送されました。『映像の世紀』って、ご存知でしょうか?

20世紀は人類が初めて歴史を「動く映像」として見ることができた最初の世紀です。映像は20世紀をいかに記録してきたのか。世界中に保存されている映像記録を発掘、収集、そして再構成した画期的なドキュメンタリーのシリーズ。活字とはひと味違った映像ならではの迫力と臨場感あふれる映像で20世紀の人類社会を鮮やかに浮き彫りにします。 

www.nhk.or.jp

元日そうそう、これを14時間34分ぶっ通しで一挙放送するとの情報をキャッチした時は、NHKさん、果たしてお気は確かか…と不安に思ったものでした…( ´-` ) 第5集『世界は地獄を見た』(第二次世界大戦下の原爆投下やホロコーストなど)とともに初日の出を迎えるなんて、正気の沙汰では無いでしょ…?

でもこれ、本当に素晴らしいシリーズで、ぜひ皆に見て欲しいし、私も元旦、祖父母含め家族と一緒に見ることができてとても良かった。こういう番組は、やはりNHKでなくては作れないのでしょうねー。大学受験の時に通っていた世界史の塾で観せてもらってから、その後今まで何度観たことか…。目を覆いたくなるような残酷な映像の裏では、一方で銃を取った兵士のリアルな映像や家族に向けた手紙、人を殺すことへの恐怖を綴った手記も記録されていたりして、ああ皆同じ血の通った人間なんだ、あの兵士はわたしだったかもしれないんだ、という当たり前で残酷な事実が強烈に浮かび上がって来るんですよね。命に軽い重いなんてあるわけないし、正しい正しくないのジャッジなんて究極にあてにならくて一瞬にしてひっくり返る。一人一人の人間が、誰を救うでもないイデオロギーに動かされて数々の悲劇を引き起こした、人類史上最も悲惨な100年間を痛いほど目の当たりにすることになるのですが、これはもうぜひわたしたちより若い21世紀キッズたちにもずっとずっと引き継がれて見られていくべき映像だと思います。

新年早々心を抉られるような思いではありますが、これがわたしたちの歴史。書いている今も、サウジとイランの国交断絶のニュースを見ていたりして。初詣で祈る世界平和にも、いつもより気持ちが入りました。それにしてもああやっぱりもっと歴史を勉強しないといけませんなーーー。というわけで、(というわけでもないけど)2016年初読書は祖父に借りた『大地の子』でございます。にしても山崎豊子氏の取材力は本当にしゅごい…

2.今年もやったよ、2016年書きぞむの会!

 じゃんっ!

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今年もやりましたよーー、『書き初む2016』at日比谷公園。今年で4回目の書きぞむ、1回目はまだみんな大学生だったなあ、完全に定例化していて嬉しい。大学のカメラサークル時代の友達が書道の師範の資格を持っていて、その師範を囲んで日比谷公園で書き初めをしてるんです。国会議事堂前で集合して帝国劇場前で箱根駅伝のランナーたちを応援してからの書き初め、そして熱燗で乾杯という流れが定番ですが、わたしは今年遅刻したので箱根駅伝は見られず。しょぼん。

今年は、あったかくていい天気だったこともあって公園に人が多く、通りすがりの方々にもたくさん参加していただきました。2回目の東京オリンピックを見るまでは死ねない、とまだまだお元気そうなかわいいおばあちゃん、今年ハワイに行けるといいね。『サピ1番』と書き初めした小学生は、きっとサピックス(中学受験の塾)で1番を取れるはずだっ。皆さんと、来年もやってるんで一緒に書き初めしましょうねーなんて言って別れたりしたんですが、考えてみればわたし『書きぞむ2017』はワーホリで参加できない可能性が高い…??ヤダー!skype参戦してやるーーーー!

で、この『五臓六腑に沁み渡れ』っていうでかいのが今年の共作。意味はまああんまりなくて、9人居たので9文字がよかったのとなんか五臓六腑って言葉をみんな気に入ってたのでこうなりました(笑)。でもこう見ると、結構良いフレーズだなあ。キャンプ行った時にテント設営終えてからのお待ちかねのビール!!とか、仕事遅くまでして寒くてお腹空いて疲れて死にそうな時におうちで食べるお鍋とか、ものすごーく五臓六腑に染み渡りますよねー。あとは東チベットの理塘というところに行った時、あまりにも空が青くて透き通ってて、標高高いので空気が非常に薄いながらも肺いっぱい吸い込んで、「五臓六腑にしみわたる〜」となんか涙出そうになったことを思い出しました。五臓六腑に染み渡る、気持ちいいこといっぱいしたいし、いろいろ経験したこと・吸収したものを、ぜんぶぜんぶお腹の底に沁み渡らせて、自分の糧にしていきたいものでございます!

そんなこにしい家の今年の目標

は、と言いますと…

1.『大きな丸💮』が欲しい!

個人での書き初めは色紙に『大きな丸』と書きました。ちょっと意味分からないですよね…(某失礼なNくんは色紙を見て、『大きな丸』とは正月太りしたわたし自身のことかと思った…と宣いましたが当然そんなわけはない)。わたしはわりとなんでも「普通」にこなすというか、これといって特筆すべき点は無い、とか、可もなく不可もなく…みたいな評価をされがちなんじゃないかなあと思います。仕事でも、友人関係でも。前の上司の時代に、研修の一環で2年目を終えた社員に評価のフィードバックをもらう、という機会があったのですが、わたしに対する評価はほぼ全部「3.どちらかといえば、良い」にマルが付いていて、五角形のレーダーチャートも凹凸の無い『ちっちゃい五角形』でした。それが大変悲しかったのです。同期の派手に出っ張ったり凹んだりしているレーダーチャートが羨ましかった。そもそも研修の内容が、上司の評価をもとに強みを伸ばし、弱みを知る、というようなものだったのに、あれ、わたし強みも弱みも無いじゃん…と。。。そういえばわたし昔から「一見」優等生タイプだったりして、なーんか面白みが無いというか、突き抜けられない女なのです…

というわけで、今年の目標は脱無エッジ人間!多少ダメなところがあったとしても、ここがわたしのいいところだと胸を張って言えるように、強みを探して伸ばしていけたらいいなあと思います。あと逆に、自分も相手に対して「大きなマル」をつけること。人のいいとこを見つけるのはわりと得意だけれど、良いと思ったら良いと伝える、絶賛する。だって、マルもらったら、みんな嬉しいに決まってるもんね!

2.ご機嫌に生きる

自分が何かするときの行動基準を、「ご機嫌でできるかどうか」で選んでいけたらなと思います。今年は会社という組織を抜けるので、いろんな局面で、自分で選択しなくてはいけないことが多くなると思います。そのときの選択基準を、なるべく他のしがらみとか固定観念に縛られず、自分がご機嫌で居られるか、否か、に置きたい。もちろんぜんぶぜんぶ自由に楽な方に流されたい〜というヒッピー的な意味で言ってるわけでは決してなくて、自分にとって何がきもちいいことなのか、何なら完全にまんまるなご機嫌でできるのか、っていうことをその場その場でちゃんと考える。例えば、友達と遊んで、時間が許す限り寝て、食べたいものを全部食べて〜という毎日は楽しいけど、心のどこかで、ああ勉強しなきゃ…あまりにも怠惰な生活過ぎて、ちょっとやばいな…と、罪悪感を覚えてしまうような気がします。後で後悔する時間が全然ご機嫌じゃないのです結局。自分の精神が、いちばんきもち良い状態でいられるように、怠けたい気持ちと自分を高めたい気持ちの間でうまくバランスをとっていけたらいいなと思います。あと、やらなければいけないこと、どうせするなら「楽しく」やりたい。自分も、見てる人もそっちの方が気持ちいいに決まっているので:)

3.言い訳しない

『でも』『だって』『どうせ』の3D、2016年は封印します(といいながら本文を見るとめちゃくちゃ「でも」って使ってますが…)!ここから先は、誰に強制されたわけでもない、時代に翻弄されたわけでもない、自分でえらんだ道です。いまいる場所は、過去の自分の選択・自分の行動の結果なんですよね!言い訳、しないよーーーーーと、いうことで、新年さぼりにさぼった(去年もさぼりにさぼった)勉強にそろそろ取り掛かるとしましょうか…。(忙しいとか日程が合わないとかで散々先延ばししていた簿記2級も2月に受験することを宣言いたします…言い訳…しない…)

 

そんなわけでついに明日から出勤(お休み短かったな…)、気持ちを切り替えて頑張りましょう楽しみましょうということで今日の一曲は、エレカシで『四月の風』。最初の1行でここまで4月の高揚感を表現できる歌詞が他にありましょうか(厳密に言うといまは1月なのですが、新年のワクワク感ということで)。何度励ましてもらったかわからない曲。明日もがんばろうーー!

四月の風 

僕がblogをはじめる理由はだいたい百個くらいあって

なんて、いや、もちろん百個も理由は無いんですけど、全く同じタイトルでブログを始める人は全国にだいたい百人くらい居そうだなーと思って検索したら意外と誰もヒットしなかった。


くるり - ハイウェイ

 超、いい歌ですよねーー。ちなみにこの『ハイウェイ』が主題歌になっている映画『ジョゼと虎と魚たち』は、わたしの大好きな映画のうちの1つです。あーもう泣いてしまいそう。またいつか詳しく書けたらいいなあと思います。

 2015年最後の日に、blogを始めてみることにしました。はじめまして、こに丸です。

で、はじめた理由はだいたい百個くらいあって(まだ言う)、

ひとつめは、いとおしい瞬間をちゃんと捕まえて大切にするため

 いきなり曖昧な感じになっちゃいました。一瞬一瞬が本当は特別で、でも輝きは一瞬で、その一瞬を大切に大切に噛み締めているつもりだけど、それでもわたしはばかなのでどうしたって忘れていってしまうし、それにもう絶対に戻れない。だからできるだけ瞬間をつかまえて永遠にとどめておきたいと思ったわけです。

嬉しい、楽しい、美味しい〜、ああ幸せだ、なんていい天気、やっぱり好きだ、どうしようもなく好きだ、大切にしよう、ああ元気出た、涙が出るほど笑った、自由だ、最高か、がんばろう、君たち最高の仲間ダヨ〜〜、ありがとう本当にありがとう、なんていうプラスの気持ちも、かなしい、情けない、恥ずかしい、惨めな感情も、迷いも、何もしないで終わってしまった怠惰な1日も、全部全部いとおしいし、わたしにとったらvery specialな瞬間なわけで、これをちゃんと大切にしたい。忘れないで、感謝して、ふりかえって自分を褒めてあげたくなったり、あの時の自分に戻りたくないからやっぱり頑張らなきゃって鼓舞したり、あああん時のあれ超美味しかったなって2度でも3度でも思い出してにやにやしちゃったりしたいです。

昨日でいうと、うちは金融機関なので30日までしっかり営業日なのですが、仕事納めにチームのメンバーで2時間くらい飲みに行こうとなったわけです(前日部の盛大な納会があったばかりではあったのだけど)。4月に上司が変わってから本当に職場に恵まれていて、そりゃ個人的には色々あったりもしたのだけど、会社での9ヶ月を振り返ると本当に楽しいことばかりなんですよね。で、昨日の飲み会の途中で皆で9ヶ月の写真を見ながら、楽しかったねー、ああこんなことあったねー、この◯◯さんすごくいい笑顔だねーなんて話したりして、ああ本当によい1年だった、ありがとう、よいお年をっていって握手して別れていったのでした。幸せだった、泣きそうだった!

『よいお年を』っていい言葉ですね。あたたかいし、日常的に使う挨拶ではないからことばがちゃんと体を持っているというか、相手のことを想う気持ちがふわふわと漂っている感じが心地よかったです。シンガポール駐在が長かった上司は、向こうではクリスマス過ぎたあたりから"Happy New Year!!"モードで、年が明けてからも当たり前に"Happy New Year!!"だから、日本みたいに1年間をちゃんと総括して、(一応は)仕事にけりをつけて、感謝して、「よいお年を」って挨拶して区切りをつけて、新年の「あけましておめでとう」に備えるのが久しぶりで凄くよい、と仰っていて、なるほどそうだなあと思ったのでした。今年の年末は良かった。よし、忘れないぞ。

なんていって、ひとつめからかなり長くなってしまったので次からサクサクいきましょう。

ふたつめは、書くことの練習をするため

この冗長な書きっぷりを見てお分かりになるかと思いますが、わたしは文章を書くのが苦手です…。はあ…。それとちょっと気にしているのが、自分のことば、自分の表現というのが最近どんどん出てこなくなっちゃっているような気がして。Twitterでいうリツイートとか「お気に入りに入れる」とか、facebookとかインスタグラムでいいね!するとか、人の表現に共感して、そうそうこれこれ、わたしもこう思ってたの‼︎と思うことが多くなって、そうなってくるともう自分のことばが出てこなくなってしまうんです(伝わるかな…?)。

例えば大学1・2年の頃、恋愛の仕方がわからなくてビレッジバンガードとかでいわゆる「モテ本」というか、恋愛マニュアル系の本を30冊くらい読んだことがありました。『小悪魔メール術』とか『愛される女になるための30のルール』みたいなやつ。笑 でもそんなの読んじゃだめに決まってるんですよねー。ふむふむなるほどって即行動に移せるひとだったらいいんですけど、わたしは結構頭で考えちゃうタイプなのでそこで余計に行動に制限がかかるんですね。例えばモテ本には「5秒相手の目を見つめて1秒そらし、再び見つめてニコッとする」なんていう必殺モテテク(?)みたいなものが載っていたりするんですけど、眠くてボーーーッとしている時に向かいに座ってる男の子のホクロとかにきびとか、5秒と言わず20秒くらい見てしまうことがありますね。で、ハッと我に返って一瞬他のところに視線がいくんだけど次の瞬間にまた目が合ってしまってなんなら向こうはちょっとニコッとしてる、みたいな。そうなるともうわたしはウワアアアアアアアアアア!テクを使ったと思われたかもしれない、アアアア消えたい…と一種の錯乱状態になり、以降もう男の子の顔はなるべく見ない。モテテクを使う痛い女だと思われることを恐れて。とかね。大学の授業に筆箱を持ってくるのを忘れちゃったけど、隣に座ってる知らないひとに「シャーペン貸してください」なんて、そんな恋愛マニュアルの例文そのままの台詞、嘘っぽすぎて言えるわけないよおおお、とか。友達同士の「なんでやねん!バシッ」とう自然なつっこみも、男を誘うボディータッチ、に見えてしまって…とかね…

そうやってわたしはモテテクにがんじがらめに支配されて行動がどんどん不自然になっていったわけなんですが 、今、そういうことが起こりかけているんだと思うんです、表現において(話の戻し方があまりにも雑…)。考えていることを上手くまとめて話すのもあまり得意じゃないので、自分のことばで書く、話す、という訓練のためにも、blogが役に立てばいいなあと思っている次第です。(例えば、のくだりが長かった割にあんまり例えになっていないことには目を瞑ってください…)

みっつめは、自分にお仕事を課すため

わたし、お世話になった会社を3月で退職予定です。(そのあとは、8月まで資格試験の勉強をして、秋からワーキングホリデーに出かける予定です。このへんはまたおいおい!)結構長いこと無職(?)状態になるので、自分に「やらなきゃいけないこと」を課してみようと思ったわけです。単純に、仕事辞めると日常のメールとかすらなくなって人に見せる文章を書く機会が皆無になるような気がするので、ブログでもやってないとなんか社会復帰できなくなっちゃいそう(ふたつめの理由とかぶりますが)。

あとは、わたしは超ど級の面倒くさがりやです。「面倒くさい」という感情に全てを支配されて、いずれ仕事も人間関係も、脳みそも全部ダメになるんじゃないかと不安になることもあります。LINEを返すのが遅いです。面倒くさくて返信しないことも、まあ…あります。期限は一応守るけど、極限まで溜めて溜めてとりかかります。そういうことを、仕事だったら割り切って一応はちゃんとやるし、もしレスポンスが遅ければ注意してくれる人もいるけど、会社をやめて自由になったら、やらなくてもいいことなんかまあ間違いなくやらなくなるんじゃないかなあ、わたし。ということで、自分でルールを決めました。

4月以降、必ず1週間に1回以上はblogを更新すること(3月まではご勘弁を。一応仕事もあるし、結構勉強も大変なので!気が向いたときに更新します:D)。更新期限は毎週月曜日。って決めるとわたしは多分日曜日の夜になってやっとああ何書くか考えなきゃ〜〜ってなるんですが、早いうちに取りかかっちゃった方が気が楽ですよ、面倒臭いことはさっさと終わらせちゃいましょう!未来のわたし、聞いてますか?

よっつめは、元気だよということを伝えるため

みっつめのところで書いたとおり、今年は後半から海外に行くことになりそうです。家族はきっと、死ぬほど心配するんだと思いますが、わたしが元気に生きてるよってことだけでも分かれば安心してくれるし、何してるよってことが分かればもっと喜んでくれるだろうと思います。他にも、少しくらい気にかけてくれる友達もいるでしょう。いる…よね…?いてくれ…。たまーに思い出してくれたときに見てくれたら嬉しいなあ。あとはお世話になった方々、応援してくださっている方々をがっかりさせるような、堕落した日々を送りたくない…いい意味で「見られている」緊張感を持ちつつ、元気でやっています、こんなことをやっています、と報告できるといいなあという気持ちもあります。自分の人生、自分の好きなようにしたらいいんだろうと思うのだけど、わたしはまだそれだけに割り切ることはできないです…。媚びるわけではなくて、やっぱり好きな人たちに好きでいてもらえる自分でありたい。

いつつめは、……無い

そういうわけで、わたしがblogを書き始めた理由は、四個でした。だいたい百個でしたね。4月になったら知ってる人たちにもオープンにしようかなあと思います。恥ずかしいね。誰が読んでくれるのかよくわからないから文章も敬語になったり、くだけたり、独り言っぽくなったり急に司会っぽくなったり。読みにくくてすみません。今のところは、『ワーホリに持っていくべき10の持ち物』みたいな情報発信系の記事はあんまり書きたくないけれど(まめじゃないから向いていないし)、気が変わったらやるかもしれません。ゆるく、ゆるーく。1つ目の記事からえらい長くなってしまいましたが、こんなのはきっと最初で最後だと思います。

それでは、ありがとう2015年の愛おしい毎日!

よいお年を!!!!